パラリンピックを目指す荒武優仁さんその1 頚髄損傷と戦う
車いすラグビーでパラリンピックを目指す荒武さんのプレイを初めて見たのはコロナ渦前の2019年12月。2020年東京パラリンピック代表選手入りを目指す、お台場パラアリーナでのチーム練習だった。
2016年、仕事中の事故により頸髄損傷(けいずいそんしょう)で車いすの生活に。当院の藤吉兼浩医師が主治医だったことが荒武さんとの出会いのきっかけだ。
最初に驚いたのは、パラアリーナの空気。生き生きと選手たちが躍動する姿は、私のパラスポーツという先入観を吹き飛ばした。健常者アスリートと勘違いしてしまうほど、そう、純粋に競技に打ち込む選手たちの姿にただただ魅入られた。
荒武さんの障害
障害を負った直後の話を聞いてみた。
荒武:2016年、障害を負った直後、首の神経を損傷して、呼吸ができませんでした。幸い、一命をとりとめましたが、直後は手も動かすことができませんでした。介護を受けて何とか生活するできるような状態でした。
今でも、鎖骨から下あたりの感覚がなくて…腹筋、背筋、あと胸筋も一部感覚がありません。普段の生活には工夫が必要ですね。
殺人球技(マーダーボール)と呼ばれる
パラアリーナでは車いす同士がぶつかり合う衝撃音が鳴り響く。車いすラグビーは車いす競技で唯一、車いす同士のぶつかり合い(タックル)が認められている競技だ。
競技者同士のタックルは、激しい体当たりで車いすが跳ね上がるほど!
かつては殺人球技(=マーダーボール)と呼ばれていたことにも納得だ。
コロナ渦によるパラリンピック延期、そして再起
2020年3月に2020年パラリンピックの延期が決定される。この頃、荒武さんに話しを聞いてみた。
パラリンピック延期についてですが
荒武: チームで来年に向けて練習を始動させたいのですが、コロナが落ち着くまではなかなか難しいですね。 当初はがっかりすることもありましたが、むしろ自分自身を見直す良い機会でした。 車椅子ラグビーを続けるためにも生活や収入を整えることも大事ですから。
具体的には?
荒武: ひとつは仕事面でのスキルアップ。選手生活を続けるためには、収入も大事ですから。テレワークに慣れてきたので、余った時間を使って新しいスキルを学んでいます。
車いす子ラグビーについて言えば、がっかりもありましたがチャンスとも考えています。
来年のチャンスを逃さないように自主トレーニングのメニューを組み立てています。自宅でできる筋力トレーニングも取り入れていますよ。
生活や練習、大きく変わったと思うのですが
荒武: 車椅子ラグビーは体育館で行うチームスポーツなのでチームでの練習は自粛しています。
話を伺う最中も笑顔で、「落ち込んでいられない、逆境をチャンスに」、そんな気持ちが伝わってくる。最後の荒武さんの言葉が印象的だった。
荒武:よく寝て、よく食べて、手洗いうがいをしましょう!